A Bookworm Diary

This is a diary of a woman who finds considerable pleasure in reading books.

第2話

 このブログを書いている人は主観的にも客観的にも生物学的には雌であり、性における志向性ヘテロであり、愛における志向性はバイである。いや、犬猫をはじめとする生類や時には物質さえも(神が宿ると信じ)この上なく愛してしまうところがあるので、もしかしたらトリ、いや、クアトロ、いやいや、マルチなんたらと言えるかもしれない。マルチ商法ではない。ややこしい。これは愛の話だ。

 ジェンダーを問わずお友だちとみなした全ての人に対して限りなく恋愛感情に近いものを抱く。「貢ぎ癖が酷い」とか「愛情がダダ漏れ」とか批判なのか警告なのか分からないことを言われながらも、ウケがいい人にはとことんウケがいいので、人に恵まれた時は、あの人ともこの人ととも恋愛成就でハッピハッピである。ジェンダーを超越した牧歌的空間をつくりあげ、みんなで仲良くイチャイチャするのが大好きだから、そこに乱交パーティーにも似た趣を感じとる了見の狭い輩には白い目で見られるが(そう感じ取る貴様のほうが猥褻だ!)、ドグマに縛られない自由な人々には「あの頃が一番楽しかったなぁ」という甘酸っぱい思い出を提供している。身に余る光栄である。

 唐突だが、このブログを書いている人は、総人口は少なくはないけれど決してメインストリームではない業界を選んで生きている。そこはちょっぴりミソジニック。その業界に足を踏み入れて最初に教わった"処世術"は「オヤジ度を上げなさい」であった。曰く「ここは夥しい数の"オヤジ"たちがあぐらをかいている業界だ。これからあなたは、"オヤジ"たちを相手にして戦わないといけない状況にたくさん出くわすだろう。その時、お目目キラキラして『わかんなーい♡』なんて言うのは武器にならない。むしろ、子犬の目で『わかんなーい♡』なんて女子力は男の方が身につけるべき術だから」だって。これを言ってきたのも"オヤジ"であって、そのオヤジから潜在的オヤジ度の高さを見込まれたのが、この私らしい。しかも、私の隣にいた女性(友人)が「えぇ〜、わかんなーい♡」と言った直後にぶっこまれた侮辱であって、この状況に喜ぶべきか悲しむべきか"迷う"のは現代を生きる「女性」の葛藤っぽくてちょっとアレだが、「恋人」を侮辱されたにも等しいこの状況に、喜びでも悲しみでもなく怒りを選んだ私は、果たしてしれっと完全黙殺を貫いたのであった。クリシェにまみれたディスコースはしれっと黙殺するにかぎる。

 結婚が視野に入ってくると、私の「恋人」たちは「女」と「男」に分類される。驚くべきことに、この後進国では結婚に際してヒト科の雌は名字が変わる。父系社会において共同体の存続を維持するために古くから伝わる因習のひとつであるが、現代においては奇妙奇天烈な事例であるため、ぜひとも文化人類学的な上から目線で考察していただきたい。それはさておき「名字が変わるあの人にすてきなニックネームを考えてあげよう♡」と素敵なニックネームを考えに考え、「気に入ってくれるかなぁ。受入れてくれるかなぁ・・・」と愛に不安はつきものであった頃の話。相手を信じることが肝心だ。しかし、信じることは難しい。カーペンターズも歌っていた、ザハーデスtスィングアイvエヴァダンイズキープビリービンと。しかし、そこを信じることが愛なのだ!ジャーニー(喜多川じゃない方)の歌にもあったではないか、「ドンストップビリービン」と。信じることがすべてなのだ!最後に愛は勝つ!とかもじもじしていたら、見事に裏切られたので、確かに信じることは難しいし、むしろ、それほど信じないことも大切にしなくてはならない局面が人生にはあるから気をつけたいものだ。

 結婚式の受付を頼まれた。「よーし、お友だちの一世一代の晴れ舞台!恥じかかせないようにしっかりやらなきゃ!」と気合いを入れたはいいけれど「お願いね」一言で詳細連絡は皆無の完全放置。困り果てて「簡単でいいから詳細を教えて」と言ったところ、その「女」は「え、そういう感じ?pgr」(←最近、知ったpgrである。やっと使う時が来たぜメーン)。はて「そういう感じ」しかも「pgr」の部分は、どういう意味だ。曰く「いやぁー、受付は頼むけどさ、ほんと変な期待されると困るんだよね〜」と。話が見えないので、もう少しだけ黙って聞いていよう。「〜ちゃん(←私)未婚じゃん?彼氏いないじゃん?当然、男に飢えてるじゃん?出会いの機会を期待して、私の結婚式に来るに決まってるじゃん。だから、そうやって詳細を知りたがるんでしょ?申し訳ないけど同じテーブルの人たち、みんな既婚か婚約してる人だからね」。・・・。こんなに斜め上を行く人だと気づくのに、どうしてこんなに時間がかかってしまったのか。我ながら情けないが常に「恋」は盲目であり、後悔は後を絶たないが先にも立たない。「詳細」だけじゃ分からないようだったので、事務的な質問を短く箇条書きにして送信したところ、返ってきたのはさらに斜め上いく半ギレのメール。最後の一行は「申し訳ないけど同じテーブルの人たち、みんな既婚か婚約してる人だからね!」。だから、そういうことじゃない。そして、せめて詳細を・・・。完全なキレられ損である。結局、受付を頼まれた人たちの中には開始時間を知らされていない人がいたり、会場を間違えている人がいたり、プランナーの方から「受付に関しては全く把握していないのですが、もちろん新郎新婦さまとの打ち合わせはお済みですよね?」と言われたり、私以上に迷惑な思いをさせられた気の毒な人もいて、案の定な展開であった。「式が終ったら、しばらく会わないと思う」とか「あの夫婦、危ないと思う」なんて言い出す人たちも出て来て、おいおい、この短期間でどんだけ恨みを買うようなことをやらかしたんだと逆に心配になる。「夫の方が冷めてると思う」とか「あの子、いつか夫に捨てられるよ」とか聞いているうちに、頭の上の方がシュワシュワしてきて視野が暗くなってきた。多量の飲酒をしてから熱々のお風呂でぽっかぽかに温まっちゃった時や、身体が弱っている時に消化に悪いものをバクバク食べながら多量に飲酒した時になる、あのシュワシュワである(←伝わります?)。

 「男」との結婚と恋愛がオブセッションとなり、彼女が占いと神頼みとパワーストーンとパワースポット巡りに多額の資金を投じていた時点で、個人の趣向とか流行で片付けずに気づけばよかった。私は別のところで「楽園」を築こうと忙しくしていた(フラれたけどね)。結婚相手のすこし頼りない部分、気の弱い部分、偉そうな口をきいたりできない部分を「男のくせに」と非難するようになった彼女を、私は陰ながら「九州男児」と呼んでいた(※これは完全なステレオタイプであり九州という具体的な地理的実体ともそこ出身の男性たちとも関係もない。言い訳だけど、コレクトネスの誘惑に負けたのでことわっておきたい)。新郎に「家庭的な一面」を褒められほくそ笑みながらも、両親への手紙で彼女が涙ながらに宣言したのは「家事・育児と仕事の両立」であった。なるほど、彼女のような人が「一億総活躍社会」を担っていくのだ。私ではない。

 「女」「男」に分類されるものは「女」「男」に分類したがるものでもあるらしい。1000年の恋は一瞬にして冷めた。「女」「男」になんか用はない。が、今も私はその元「恋人」を見つめている、文化人類学者の眼差しで。

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