A Bookworm Diary

This is a diary of a woman who finds considerable pleasure in reading books.

第1話

  誰にでもあることだ。忙しさにかまけていた日々が一段落して、「少しのんびりしよう」と思った、その「少し」の隙間から過去数年分の感情が一気にぶりかえす。待てども待てども聖者は来らず。たまたま出会った相手が悪かっただけで、たまたま自分の気持ちが一方通行になってしまっただけだという、ただそれだけの話を、もう何十年も繰り返している。「みんな孤独よ」は普通に正しいと思うし、「んなこと知らないよ、私は私が孤独で悲しいってことにしか関心ないんだわ」っていうのも、とても素直な感情であるという意味では正しいと思う。ところで悲しいとか悔しいとか、んな馬鹿馬鹿しいもんにとらわれている暇があったら目の前の仕事しろや。とか思っている間に、いつの間にかすくすく発育して、大蛇のように蜷局を巻くうらみとつらみ。

 ああ、SNSをやってなくてよかった。やっていたら、きっと相手が幸せでないことを願いながら、現状に満足していないうえに不満を建設的な行動に移せず屁たれな日々を悶々と過ごしていることを願いながら、願わくばそれが来るべき破滅へのカウントダウンであることを欲しながら、アカウントを検索してしまう。ああ、SNSやってなくてよかった。やっていたら、きっと幸せそうな近況アップデートを見て「病んでるな」とか「劣等感の裏返しだ」とか「欲望の投影だ」とか「この人、昔から承認欲求の塊だったもんな」なんて半端な精神分析の知識で病いを次々に捏造し、気づいたら「あ、もうこんな時間」なんてことになりかねない。SNSやってなくてよかった。きっと意識高い系の投稿や敢えて下ネタに走るサブカル女子投稿を発見した日にゃ、「あーあ、とうとうここまできたか」なんて馬鹿にして笑っても、心はいっこうに空っぽのままなんてことになりかねない。

  吉本ばななの小説『キッチン』に、大事な人のために主人公がカツ丼を届けるくだりがある。ああいう奇跡が自分の人生にも起こらないかなと、まさしく物語みたいなことを考え続けている。ひとりぼっちの真夜中に、誰かがカツ丼を届けてくれる瞬間。あるいは、誰かのために真夜中にカツ丼を届けずにはいられなくなる衝動にかられる瞬間。むしろ後者のほうがいい。「ああ、このカツ丼、あの人に食べさせたい」。「好きだ・・・。好きだなあ。うぉおおおお好きだー!」って止まらない、あの毎日。こんな出不精でお家のお布団が大好きで、深夜に飲みに誘われれば相手が目上の人でもさっさと断ってしまう私が、真夜中に自分以外の誰かのために自主的に頼まれてもいないカツ丼を配達し、それを相手も美味しそうに嬉しそうに食べてくれる。大事な人がカツ丼を食べてくれただけで、世界を征服したも同然。差しだしたものを受けとってもらえる、そう多くはない奇跡の瞬間。

 久しぶりに会った友人は、ここ数年にわたる艱難辛苦からぼわっとした雰囲気を全身から放ちつつも、カタルシスの最終段階にあったのだろうか、悲しみとはこれほどまでに爽やかなものであるのかと感嘆してしまうような表情をしていた。屋台のホルモン焼きを口に運ぶでもなしに箸でいじくりまわしながら、どうでもいい話でしばらくやり過ごすと、彼女は手を止めて大事なことを言う準備をした。こういう時、優しい人は饒舌や雄弁とは正反対のやり方で語るもので、だから、彼女は饒舌や雄弁とは正反対のやり方で語り出した。「誰かと出会って、その人が去って行く。そういう、ごくあたりまえのことが、何度も経験したはずのことが、最近になって、急に、すごく辛い」。ドネルケバブのタレで手をべとべとにしながら、私はぼーっとした。こういう感情を、馬鹿にしないで、大切にして、丁寧に言葉にできる。そういう人はすてきだ。この日の空が青くてよかった。ぜんぶ吸いとってくれそう。

 

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